僕等のエデン
冷めない熱は夜へ持ち越して

─── …たっくん。

 微睡みの奥に沈んでいた意識が、その声に反応して浮上する。
聞き間違えではない、だろうけれど。誰が呼んだんだろう?
自分のことを指しているとは分かるのだが、その声の主からそう呼ばれたことは一度もない。
何でそう呼ぶんだろう? ぼんやりとした疑問を胸に、滝沢 朗は瞼を開ける。

ぱちり。寝ぼけ眼は、顔を覗き込んでくる女の子を捉えた。
ぱちぱち。向こうは少しきょとんとした瞳を見せた。

 森美 咲。これから一緒に暮らす、滝沢にとって唯一の女の子。
真っ直ぐに見つめると、咲はわたわたと何かを誤魔化すように手を振る。その頬が微かに赤い。
滝沢が話しかけるよりも早く、焦った様子の咲は口を開く。


「あ、あの滝沢くん! 風邪、引いちゃうよ?」


そっか、あのまま寝ちゃったんだ、俺。
ぼやいて、滝沢は寄りかかっていたソファから身を起こした。
 引っ越し作業であれこれ力仕事をして汗を掻いて、一段落したからシャワーを浴びて戻ってきたら、うっかり居眠りしてしまったらしい。
咲が様子を見に来てくれたようだが、慌てる理由が─── ああ、と滝沢は納得して、くすりと笑う。

「な、なに?」

反対に咲は、ぎくりと身を強ばらせる。
滝沢は楽しそうに目を細めて、深呼吸した。シャンプーと、石鹸の香りがふわりと漂ってくる。

 荷物の整理の方も、一応は一区切りついた様子で、咲もシャワーを浴びて、作業用に着ていた服から着替えているようだった。
 ピンクのキャミソールから覗く黒のレースと、それに包まれた咲の柔らかそうな素肌が目に付く。ひっそりと眺めて、滝沢は微笑む。


「咲」
「…、?」
「さっき、タッくん、って呼んだ?」
「! …あ、……うん」


悪戯が見つかった子どものように悄然と、目を逸らしながら咲はそれを認めた。
 みっちょん達は滝沢のことを『滝沢くん』とは呼ばない。そう呼んでいるのは咲だけだ。だから、彼女にそう呼ばれて少し違和感があった。眠っている時でさえも。
滝沢は、自分が咲へ向ける想いを照れくさそうに受け入れる。しかし咲はそんな滝沢に気付かない。

 恥ずかしいのか、逃げるように俯いてしまった咲に手を伸ばし、滝沢はそっとその頭を撫でた。シャワーを浴びたばかりなのか、いつにも増して艶やかな髪を指先に絡めながら、滝沢はごく自然に咲へ顔を近付ける。
 縮まった距離にドキリとして、咲が上目遣いに滝沢の様子を窺うと、滝沢は咲の背を撫でて囁く。


「いつもみたいに呼んでよ」
「…、いつも、みたいに?」
「うん。咲に呼ばれるの、気に入ってるんだ、俺」
「そう、なの?」
「咲しかそう呼ばないからね。タッくんは、他の人からも呼ばれるけど」
「…!」


頷く滝沢は、咲の目の前できらりと瞳を輝かせた。
 遠回しに、それは特別なことだから、と言われているようで、咲は息を呑む。

眠る彼に近付いた時、自分は何を考えていた? 『滝沢くん』と呼んでいるのは自分だけだと、考えていた。彼もそれを分かっていて、だからそのまま呼んでほしいと願った。つまり、それが特別なことだと思っていてくれたということで。

同じ気持ちでいてくれたことに嬉しくなって、咲は火照った頬を緩める。
でも、まだ上手く唇が動いてくれない。呼びたいのに、と咲は唾を飲む。

 きゅ、と指先を丸くして、咲はじっとりとした夏の熱気に身じろぎした。
キャミソール越しに滝沢の手を感じる。あやすように背中を撫でるその手に、咲はドキドキした。
 少し躊躇ってから、咲は滝沢を見つめる。
にっこりと笑った滝沢に負けて、いつもなら何でもない呼び名をひどく緊張しながら口にした。

「たきざわ、くん」

 消え入りそうな程に小さく紡がれた名前を耳にして、滝沢は嬉しそうに頬を緩めた。素直な感情が顔いっぱいに広がった滝沢に、咲はまた鼓動が逸るのを自覚した。抑えきれないそれに戸惑いながらも、滝沢から目を離すことができない。
 無防備な格好で可愛い顔を見せている咲の手を取り、滝沢はソファから立ち上がった。
片腕をぐるりと回して、さっきまで微睡んでいた身体を起こす。


「咲。もうすぐ、みったん達来るんでしょ?」
「あ、うん。そろそろだと思う」


振り返った滝沢が、優しい声で咲の心を擽った。
もういつも通りの顔をしている滝沢を見上げて、咲はその手をぎゅうっと握る。

 これから、みっちょん達が引っ越し祝いに来てくれる約束となっているのだ。
滝沢の手に引かれながら、咲は火照った顔をぱたぱたと手で仰いだ。
少しでも風を送って、この赤みを消さなければ。
そんな咲のささやかな抵抗を打ち砕くように、急に立ち止まった滝沢は咲の手を離す。段ボール箱の中をごそごそと漁り、M65ジャケットを取り出すと、小首を傾げて見守っていた咲に差し出した。

「これ着ててよ」
「え?」

もしかして可愛くなかったのかな、滝沢くんの好みじゃなかったのかな。
自身を見下ろして、咲は不安そうにジャケットを受け取る。
戸惑いながらその場で袖を通すと、滝沢が満足そうに頷く。


「滝沢くん? あの、」
「可愛いから、それは後で見せてよ。夜、二人っきりの時にね」
「え…っ!?」


滝沢は低い声で囁くと、何事もなかったように咲の手を引いて歩き出した。いろいろ準備しないとね、と滝沢が言う。その声は純粋に楽しそうで、さっきのようにドキリとするものはない。
ずるい、とドキドキする心臓を片手で押さえて、咲は唇を結ぶ。

 たぶんすぐそこに迫ったタイムリミットまでに、顔の火照りが消えてくれるか咲は心配になったが、滝沢の手を離すこともできず、ただ熱い吐息をこぼした。
End
◇ Data memo ( 作者:哀華 )
時期:劇場版U/After/滝沢帰還後/同棲→引越し中。
糖度:やや甘い?
設定:滝沢くん力仕事でお疲れお休み中。
補足:黒崎さんの『幸せとはあなたの名前なのかもしれない』別√、目が覚めるver

『 冷めない熱は夜へ持ち越して 』   2010.04.17.

←Back
inserted by FC2 system