僕等のエデン
傍に居るのに
「咲。もう遅いぞ。滝沢に迎えに来てもらったらどうだ?」
「平澤くん」


振り返り、咲は少し困った笑みを浮かべた。
平澤はその微妙な反応から察すると、表情を曇らせる。


「今日も滝沢は居ないのか?」
「…うん」
「、そうか」


ふう、と溜め息をこぼして、平澤は唇を閉ざす。

此処が豊洲のショッピングモール内なら、迎えに来てもらう必要も特にない。彼女と滝沢朗は同棲をしており、滝沢の住処は平澤が彼と知り合った時から変わらずシネコンのVIPルームだ。平澤達が陣取ったスペースからシネコンまでの道のりに、そう危険が待っているとは思えないので、帰りが遅くなってもさほど気に留めていなかったのだが、最近は少し事情が違う。

暫く前、平澤が意気投合したニートから力を貸して欲しいと依頼があったのだ。依頼をしてきた人物は起業も考えているらしく、起業と挫折を経験している平澤は何か思うところがあったのだろう、彼を支援すべく協力を了承した。

当初は平澤がひとり、半日もしくは丸一日彼のオフィスへ出向き、いろいろと相談に乗ったりしていたのだが、手伝いをしてくれていた事務担当の女の子が急用で田舎に帰らなければならなくなった。とんぼ返りできるような用事ではなく、一ヶ月ほど滞在する予定らしい。

可能な範囲で給料は出そう、だから一時的に助っ人を派遣してほしい。
そう頼み込まれた平澤は、咲に声をかけた。<東のエデン>の事務はおネエに任せておけば問題ない。少しだけ咲が抜ける程度なら、後々取り戻せると判断したのだろう。
幸い、今の<東のエデン>はさほど忙しくない。残業も殆どなかった。

平澤の頼みとあって、咲はそれを受け入れた。ひっそり『なるべくひとりじゃない方がありがたいかも』とわがままを言ったが、平澤も咲をひとりで行かせるつもりはなかったらしく、『無論だ』と頷いてくれた。
ひとりで行かせたら悪い虫がつくかもしれん、という平澤の本音を知らない咲は、平澤から話があったすぐ後、このオフィスにちょくちょく足を運んでいる。

半日のつもりが、午後に顔を出すと残業をすることも多かった。今日もそれだ。
人手が足りていないのか、効率が悪いのか、そう上手くは仕事は進まないようで、平澤と咲以外にも、何名かオフィスに残っていた。全員が男性で、咲は気を抜ける話し相手が見つからず、慣れない環境に少しばかり疲れてもいた。

時計を確認すると、十時半過ぎだ。平澤としては、もう女の子が一人歩きしていいような時間帯ではないので声をかけたのだが、それは失敗だったのかもしれない。

咲の帰りが遅くなる時は、大抵、滝沢が彼女を迎えに来てくれていた。
故に平澤も咲の残業を黙認していたのだが(給料を受け取ってしまっている以上あまりとやかく言えることでもないという意識もあった)、ここ最近は滝沢自身が忙しいらしく、迎えに来れない日が続いていた。
平澤自身が咲を送っていきたいところだが、生憎と今、諸事情で車が手元にない上に、平澤は終電近くまで残業をしていることが多いのでそれも難しかった。
かと言って、このオフィスのメンバーに頼むのも気が引ける。うやむやのまま、咲がひとりで帰る日が連続していた。


「すまないな、咲。今日も送っていけそうにない。タクシーで帰ったらどうだ?」
「大丈夫だよ、平澤くん」
「…そうか。どちらにせよ、もう咲は引き上げた方がいいだろう」
「うん。ありがとう。じゃあ、これ終わったらお先に失礼するね」
「ああ」


曇った表情の平澤の不安(もしかするとふがいない自分に対する不満なのかもしれない)を払拭するように、咲はちいさく笑った。


一仕事終えてオフィスから出ると、夜の冷たさが咲を襲った。
季節はもう秋で、コンクリートの上に落ちた枯れ葉がかさかさと音を立てて転がった。
コートの襟を立てて、咲は駅へ向かう。用事もないのに携帯電話を取り出し、メールを確認した。
メールはみっちょんからで、『明日はどっちに行くの?』という内容だった。明日は豊洲に顔を出してから、午後にまた外出する旨のメールを返して、咲は溜め息を吐く。
滝沢からの連絡はない。分かっていたことだ。
咲は俯いて、『仕方ないよ』と小さく呟いた。


日付が変わる頃に、ようやく咲は自宅へ戻ってきた。
お帰り、と迎えてくれる声がないことに寂しさを覚えながらコートを脱いで、まず真っ先にお風呂へ向かう。
シャワーを浴びて、憂鬱な気分を洗い流す。最近の日課になりつつあるのが、すこし悲しい。
湯船につかって、咲は膝を抱える。

「滝沢くんのばか」

寂しくて、ついそんな言葉が漏れた。
顔を合わせない日が続いていて、どうしてこんなに寂しいんだろう、とぽっかり胸に空いた穴を認める。

まだ平澤達にはっきりと言っていないのだが、滝沢は居酒屋で働き始めたようだ。
それは咲の知らない間に決まっていたことだったが、生活の為にはお金が必要だ。だから別段、働くことに異論はない。
ただ、居酒屋となると労働の時間帯が異なる。朝まで店が開いているというのだから、考えてみれば当然だった。それに気が付いたのは、滝沢が夜遅くに出かけていって、朝方に帰ってきた日のことだった。
シフト制なので、夕方に出ていって夜に帰ってくる日もあったけれど、顔を合わせる時間が減った。
たぶん明日もあまり顔を合わせられないのだろう。朝、寝顔を見るだけ。滝沢は逆に、夜、咲の寝顔を見るだけ。
でも明日は金曜日、乗り越えれば休みだ。がんばろう、と咲はお風呂を上がり、夜ご飯を諦めて床についた。


翌朝、咲は滝沢の寝顔を眺めて、そっと頬を撫でてみた。
起こしちゃいけない、疲れてるんだから、という気持ちと、起きて声を聴かせてほしい、という気持ちがぐちゃぐちゃと咲の胸を掻き乱す。
滝沢は何となくぐったりとしていた。深い眠りについているらしく、起きる様子はない。咲は手を引いて、『いってきます』と呟いてから家を出た。

シネコンから<東のエデン>のオフィスまでやって来ると、みっちょんが迎えてくれた。
ホットココアが入ったカップを持って、咲に話しかけてくる。

「咲。最近遅いの? 一臣が微妙に機嫌悪いけど、向こうで何かあった?」
「え? ううん。遅いけど、別になにもないよ」

みっちょんは、そっか、と頷く。
機嫌が悪い、と言われても、咲にはそれが寝不足と疲れから来ているものにしか思えなかった。気になる程のものでもないし、疲れていても平澤は優しい。
咲は小首を傾げて席に着く。

「じゃあ、タッくんとはどう? 遅いなら、心配してるんじゃない?」
「…ん」

みっちょんの問いかけに、咲は言葉を濁す。
滝沢には、帰りが遅いことを言っていない。
居酒屋の件があって、滝沢が咲の帰りを心配してくれたのだが、咲自身こうも残業が長引くとは考えてなかったので『そんなに遅くないよ』と答えてしまったのだ。
以来、面と向かって会話する時間が激減して、何となく帰りが遅いことを言いそびれている。
帰宅時間を知ったら、滝沢に余計な心配をかけてしまう気がして言いづらい。それに、この状態ももうすぐ終わる筈だ。あと少しの我慢、と咲は自分に言い聞かせる。

「みっちょん、ちょっとええかのー」

口ごもる咲の様子を心配したのか、みっちょんが口を開きかけた時、板津からお呼びがかかって彼女は渋々といった風に戻っていった。
それに半分だけほっとして、咲はぼんやりと端末の電源を入れた。
End
◇ Data memo ( 作者:哀華 )
時期:劇期:劇場版U/After/滝沢帰還後/同棲中
糖度:現時点ではさっぱりです
設定:非公開
補足:平澤お父さんだらけ。平澤と咲は出向中

『 傍に居るのに 』   2010.04.29.

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